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「東日本大震災から一年を数えての祈り」

 「日本パブテスト連盟 東日本大震災 災害対策本部」から出された「東日本大震災から一年を数えての祈り」です。
現地支援委員会の鈴木牧人氏(郡山コスモス通り教会牧師)がまとめてくださったそうです。





             2012年3月11日 東日本大震災から一年を数えての祈り


 主よ。
 あの日の夜、未だ大きな余震が続き、津波警報も収まらない中、日本中の人々が、テレビに映し出される津波被害の様子を目の当たりにしながら、呆然と立ち尽くしていました。2011 年3 月11 日14 時46 分18 秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km の海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、未曽有の被害を出しました。死者1 万5843 人、行方不明者3469人、日本の観測史上最大規模の地震は、私たちが置かれている世界を一変させてしまいました。地震被害、津波被害、それに伴って発生した東京電力福島第一原子力発電所事故の被害は、多くの人の命を奪い、家族を奪い、友だちを奪い、生活を奪い、仕事を奪い、居場所を奪い、関係を引き裂きました。私たちは未だに、その痛みの中にいます。一年経った今も、私たちは、あの日のことを忘れることができません。

 避難所を訪問された方がいます。震災直後、避難所は騒然としていて、ボランティア受け入れの準備もできていませんでした。それでも何かできないかと思い、傾聴ボランティアを行おうとしましたが、段ボールに仕切られた寝床で横になっている人の傍らにじっと座りながら、その方がお話ししてくださるのを待っているしかない状況でした。目の前には凄惨な状況が広がり、痛んでいる人、悲しんでいる人を前にしながら、この状況を何とかしなければと思いました。でも、どうやって関わっていけばいいのか、何と言って声をかければいいのか、分かりませんでした。たった一言声をかける言葉さえも見つかりませんでした。何とも言えないような隔たり、重たい空気が流れ、一日2-3 時間座っているだけでも本当にへとへとになってしまうような状況でした。今回の支援活動の働きを考える時、いつも原点の情景として思い出されます。

 津波でお連れ合いを亡くされた方に出会われた方がいます。その方は、お連れ合いを探すために毎日、遺体安置所を訪ねました。しかし、中々見つかりません。毎日のように安置所を訪ねながら、数週間経ち、ようやく亡くなられたお連れ合いを見つけることができました。その時、思ったのは、「もうここに来なくていい。ホッとした。」ということだったそうです。その方の言葉を聞いた時、これまでどんなに苦しい思いを通ってこられたのだろうかと思うと言葉も出ませんでした。

 火葬場で身元不明の方々の葬儀に出席して来られた方がいます。名前も分からずに弔われていく方々の葬儀に立ち会いながら、この一人一人に家族があり、友人があり、知人がおられるのだということを心に刻みながら帰って来たとおっしゃっていました。

 津波被害の瓦礫撤去のボランティアに参加された方がいます。瓦礫を拾いながら、これら一つ一つがごみや瓦礫ではない、その一つ一つに生きた証や思い出が詰まっているのだと思う時、涙が溢れてきたとおっしゃっていました。

 原発事故で避難されている方々に出会われた方がいます。避難された皆さんから話を聞くと、避難所を5 回、6 回、7 回と移動された方ばかりでした。原発事故の後、政府がコロコロと方針を変えて、避難範囲を変えたからでした。方針を変える度に、ようやく腰を降ろした避難場所からまた逃げ出さなければなりませんでした。しかし、別の避難場所に行くのは決められた行程があるわけでもありません。人づてに聞きながら、避難場所を探しました。ようやく避難先を見つけて駆け込もうとしても、断られてしまうこともしばしばでした。

 ある方が言いました。「一番辛かったのは、寒い中、避難しながら、孫が体調を壊し、熱を出してしまったことだ。診てもらえる病院が見つからず、本当に困った」。そんなふうに、皆さん、国に翻弄され、あちこちで傷つけられるような思いをさせられながら、避難されたのでした。未だにその状況は続いています。「自分の家に帰りたい」ただそのことだけを願いながら、その願いさえ叶わずに過ごしておられます。そのような方々の状況に、歯がゆさや、苛立ちを感じずにはいられません。


 私たちの周りには、今も、多くの方の悩みや消えない痛みや悲しみの声や呻き、叫びがあります。私たちには、どうすることもできないことばかりです。その一方で、日が経つ中、少しずつ、震災の出来事が過去の事柄のようになりつつあります。しかし、未だ、復興は進まず、困難の中で過ごしておられる方々がいます。
 今も原発事故の苦しみのただ中にいる方々がいます。危険区域で仮設住宅に住まわれている方、放射能被害を恐れて、県外に避難されている方、不安を抱きながらも様々な事情で県内に留まり続けておられる方がいます。今も懸命に原発事故の収束のために命がけの作業にあたっておられる方がいます。原発事故に関する様々な誤った情報に翻弄され続けている私たちがいます。
 原発事故の問題以外でも、地元の仕事が無くて、他県に移り過ごしている方々がたくさんいます。被災地の仮設住宅では、それまでのコミュニティが失われ、孤独や不安の中で日々を過ごしている方がおられます。また、震災直後の、誰もがどうしようもなかった状況を思い起こし、「自分は何もできなかった」と、自責の念にかられて苦しんでいる方がおられます。また、仮設住宅の生活からようやく家を建てようとされている方もおられますが、家を建てる方、建てられない方の差が出始め、心の距離も開き始めています。地域で共に生きることの難しさに直面しています。
 私たちがそれらのことを忘れることがありませんように。聞くべき声に耳を傾け、心に刻むべきことを、きちんと心に刻むことができますように。

 この震災を通して、私たちの信仰は、大きく揺さぶられ、問われました。そのような中、私たちの主が愛の方で、真実の方で、主のなさることは最善であることを学んできたはずなのに、時に主が分からなくなって、「神様なぜ」と問うてしまっている私たちがいます。また、こんな時こそ、一つの思いになって歩んでいかなければならないことを十分に分かっているはずなのに、中々、一つになることができない私たちがいます。周りには多くの痛みを抱え、苦しんでいる人たちがいるのに、時にその人たちに寄り添うことができない私たちがいます。今回の原発事故を通して、人間の愚かさを見せつけられ、「もうこんな思いは二度としたくない」「してはならない」と分かっているはずなのに、未だに同じような過ちを繰り返そうとしかねない私たちがいます。
 私たちは、震災の現実に向き合わされながら、これまで散々、自分たちの信仰のなさ、愛のなさ、忍耐のなさ、迷いやすさ、罪の深さを見せつけられてきました。しかし、主は、そのような私たちと今も共におられ、私たちを見捨てずに歩んでくださり、それでも、私たちにキリストの教会としての使命を与え、この地に立たせてくださっています。

 主よ。どうぞ、私たちに先立って、歩んでください。今も深い悲しみと痛みの中にあるこの地にあって、十字架と復活のイエス・キリストにある慰めの御業が起こされますように。主の真実が現されますように。私たち一人一人が、この地にある痛みを覚え、悲しみに寄り添いつつ、生きることができますように。全ては主の御手の中にあります。その主の御手には、今も、十字架の上で、杭打たれた傷の痕があります。私たちに先立って、主は、全ての痛みをすでに引き受けてくださっています。その主にのみ、望みを抱きつつ、歩むことができますように。
 この祈りを私たちの主イエス・キリストの御名によってお献げいたします。アーメン。



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