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『モリー先生との火曜日』より
ふと目について借りたDVDがとても良かったので、本も読んでみました、ミッチ・アルボム著『モリー先生との火曜日』(日本放送出版協会)。
著者が、ALSにかかった恩師モリー先生と再会してから行われたふたりだけの最後の授業。
モリー先生はまさに自分の命のすべてをかけて、その授業の一つ一つを行ったのでした。
少し引用します。

***


「……目に見えるものが信じられなくて、心に感じるものを信じなければならないときがあるんだ。他人から信頼してもらうには、こちらも相手を信頼してかからねばならない――たとえ自分が暗闇の中にいようと。倒れるときでも」(p65)

***


「ほんとうのところ、私自身の中にすべての年齢がまじり合っているんだよ。三歳の自分、五歳の自分、三十七歳の自分、五十歳の自分ていうように。そのすべてを経験して、どんなものだかよくわかっている。子どもであるのが適当な場合には、喜んで子どもになるし、思慮深い老人であるのがいい場合には、喜んでそうなる。何にだってなれるんだ! 私は今のこの年までのどんな年齢でもある。わかるかい?」(p124、125)

***


「この国では、ほしいものと必要なものがまるっきりごっちゃになっている。食料は必要なもの、チョコレートサンデーはほしいもの、自分を欺いてはいけないよ。最新型のスポーツカーは必要ではない。豪邸は必要ではない。
 はっきり言って、そういうものから満足は得られない。ほんとうに満足を与えてくれるものは何だと思う?」
 何ですか?
「自分が人にあげられるものを提供すること」(p129)

***


「忘れられるとは思わない。ずいぶんたくさんの人と身近に親しくしてきたからね。それに愛とは、死んだあとも生きてとどまることだから」(p137)

***


「……人間は、お互いに愛し合えるかぎり、またその愛し合った気持ちをおぼえているかぎり、死んでもほんとうに行ってしまうことはない。つくり出した愛はすべてそのまま残っている。思い出はすべてそのまま残っている。死んでも生きつづけるんだ――この世にいる間にふれた人、育てた人すべての心の中に」

「死で人生は終わる、繋がりは終わらない」(p176)

***


繰り返して観たいDVD、繰り返して読みたい本です。

            
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    『パイロットフィッシュ』
    「水槽の立ち上げ」について調べていて、ああ、「パイロットフィッシュって、そういう魚だったんだ」
    とようやくわかった。そしたら、大崎善生さんの『パイロットフィッシュ』を再読したくなった。
    数年前までの大崎さんの小説はほとんど読んだ。
    同世代だからだろうか、小説に流れる空気はわたしにとって、とても馴染みのあるものだった。
    図書館のHPを見てみたら、ここ数年チェックしないうちに、大崎さんの小説が何冊か出版されていたことがわかった。
    早速3冊リクエストした。楽しみが増えた。


    『パイロットフィッシュ』から少し引用する。

    ***


    「たとえばね、アクアリウムの上級者がアロワナとかディスカスだとか高価な魚を買ったとするだろう。高級魚というのは大抵神経質で弱いんだ。そんなときに、その魚のためにあらかじめパイロットフィッシュを入れて水を作っておくんだ。これから入る高級魚となるべく似た環境で生育した魚を選んでね。そして、水ができた頃を見計らって本命の魚を運んでくる。でね、パイロットフィッシュは捨ててしまうんだ」
    「殺すの?」
    「そう。殺す」
    「他の魚のための生態系だけを残して?」
    「そう。生態系だけを残して」
    「どうして殺すのよ」
    「もう、必要がないからね。ひどい奴は天日干しにしたり生きたままトイレに流したり、そのままアロワナに食わせてしまったり」
    「ひどい」
    「でね、最初に入れた魚の状態が悪かったらいつまでたっても水槽は仕上がらない。それは悪いバランスのバクテリアがそのままの状態で水を支配するようになるからで、そうなると水槽を立てなおすのはかなり大変なんだ」

    ***


    次に来る魚のために生態系を残したら御用済みとなるパイロットフィッシュ。
    なんだか悲しいけれど、健全なパイロットフィッシュがいなければ、本命の魚が快適に生きる生態系はつくられない。
    パイロットフィッシュの役割って、親の役割にちょっと似ている。
    子どものために生態系をつくり、御用済みとなる親・・・
    だけど、もし子どものために良い生態系さえつくることができたら、
    それだけでもう親の役割は果たしたと言えるのかもしれない。

    子どもたちのために、夫とわたしはどんな生態系をつくったのだろう。
    それはたぶん子どもたちのこれからの生き方が示してくれる。

    怖いな。







                
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      『遺体』
      図書館にリクエストしていた本がようやく来ました。
      石井光太著『遺体』。サブタイトルは「震災、津波の果てに」です。

      題名の通り、最初から最後まで一貫して「遺体」の話でした。
      津波で一瞬にして命を奪われた釜石の人たちの遺体は、どこに、どのようにして収められたか、
      遺体を運び、その記録を残し、遺体の保管に関わったのはどんな人たちか、
      遺族はどのようにして家族を探し遺体と対面したか、
      地震や津波で火葬場が被害に遭う中、膨大な数の遺体はどのようにして土葬を免れたか、
      身元のわからない人たちの遺骨はどうなったか・・・。

      気の滅入るような内容でしたが、「エピローグ」で筆者は次のように書いています。

      ***


       私は、棚に並べられた遺骨を一つ一つ見ていった。供えられた花や果物の甘酸っぱい香りがしている。私は、胸のなかでそっとつぶやいた。
       みなさん、釜石に生まれてよかったですね。

      ***


      筆者がこのように書いた理由のなかにひとすじの光明があると思うのです。
      みなさんも、機会があったら読んでみてください。



      長くなりますが、「取材を終えて」から引用します。

      ***


       来る日も来る日も被災地に広がる惨状を目の当たりにするにつれ、私ははたして日本人はこれから先どうやってこれだけの人々が惨死して横たわったという事実を受け入れていくのだろうと考えるようになった。震災後間もなく、メディアは示し合わせたかのように一斉に「復興」の狼煙を上げはじめた。だが、現地にいる身としては、被災地にいる人々がこの数え切れないほどの死を認め、血肉化する覚悟を決めない限りそれはあり得ないと思っていた。復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめて進むものなのだ。
       そのことをつよく感じたとき、私は震災直後から二ヵ月半の間、あの日以来もっとも悲惨な光景がくり広げられた遺体安置所で展開する光景を記録しようと心に決めた。そこに集った人々を追うことで、彼らがどうやってこれほど死屍が無残に散乱する光景を受容し、大震災の傷跡から立ち直って生きていくのかを浮き彫りにしようとしたのだ。

      ***

      あれほどのことが起こったのです。一年が経っても、被災地にいる方々はまだ
      「受け入れ」「決意を固め」ることができないでおられるのではないでしょうか。

      東日本大震災のこと、そして原発事故のことをどう考えたらいいのか、
      わたしもまだわかりません。
      被災地から離れて暮らしているわたしたちは、大震災などなかったかのように
      毎日を過ごすこともできます。現に、多くの人たちはそうしているようです。
      でも、ほとんどの人たちは、今度大地震が起こるのは自分の住む地域かもしれないという不安を抱いているのではないでしょうか。

      そして大震災と同時に起こった原発事故によってわたしたちは、
      自然以外にも恐れなければならないものがあるということを思い知らされました。

      そんな不安だらけの世の中で、与えられた命を生き抜くために、
      わたしたちはどうすればいいのでしょう。
      大震災や原発事故に遭われた方たちを覚えつづけるために、
      わたしたちはどうすればいいのでしょう。

      そして、わたしたちはこれからどんな日本を夢見ればいいのでしょう。

      それは少なくとも、少数の人たちだけが得をする社会ではないはずです。
      そして、津波ですべてを失った人たちや、原発事故で故郷を追われた人たち、
      今も復興の兆しの見えない被災地や、以前として放射線量の高い地域に住む人たちと
      手を取り合って歩んでいく社会のはずです。

      そうではないでしょうか。




                  
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        放射能と共存する時代
        「1945年の8月6日を出発点として、地球は核の時代に入りました。放射能と共存する以外に道はないのです。これから親になる人、子育て中のお母さん・お父さんの心労は大きいことと思います。『放射能と共存する以外にない』――この事実を識り各自が学び、自分の人生を自身で選び、前向きに生きていってほしいです。過剰な不安は子どもの心身の成長に良くありません。 人間は生を全うするように生まれついているのです」

        橋爪文著『少女・十四歳の原爆体験記』より


        ヒロシマの被爆者・橋爪さんの言葉です。
        橋爪さんの著書は重たいだけではなく、人生や人間の素晴らしさをも教えてくれる本でした。
        機会があったら是非お読みください。
        こちらから橋爪さんのメッセージがご覧になれます)

        「放射能と共存する以外にない」国になってしまった日本。その中で生きていくためには、
        ヒロシマ・ナガサキ、チェルノブイリ、そして世界中の核実験や原発のヒバクシャたちから学ばなくてはならないんだと思います。

        生を与えられたわたしたちは、どんな世界に生きようとも、生きていく責任があるから。

        いま、井伏鱒二さんの『黒い雨』を読んでいます。

                    
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          『それでも人生にイエスと言う』より
          原発事故が起こり、目の前が真っ暗になった時、助けられたものがいくつかありました。
          ひとつはマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」、それに「風の谷のナウシカ」、
          そしてV・E・フランクルの『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)。

          フランクルの言葉はほんとうに心に沁みたので、みなさんにも少しお分ちしたいと思います。



           ……私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。
           こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。どのような未来もこわくはありません。未来がないように思われても、こわくはありません。もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。その際、どんな未来が私たちを待ちうけているかは、知るよしもありませんし、また知る必要もないのです(27、28頁)



          ***

          マイケルの映画に助けられた、については、説明が必要でしょうか。
          マイケルは、体調が悪い中、最期の最期まで全力で演じたのです。
          おそらく、孤独に苛まれながら、でも、最期まで周りの人たちを愛し、
          なんとか破局から世界を救いたいという思いに突き動かされて。

          マイケルが生きている間に大震災と原発事故が起こったら、
          マイケルはどんなに悲しんだでしょう。

                      
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            『くじけないで』
            大晦日に柴田トヨさんという人が衛星放送に出たんだけど、再放送をやるから
            録画してもらえないかと父から電話があった。
            昨年施設に入った伯母(父の姉)に観せたいのだという。

            わたしは全然知らなかったけれど、柴田トヨさんの詩集『くじけないで』(飛鳥新社)は
            昨年のベストセラーで(今年になって10万部を超えたそう)、いま品切れらしい。
            父はあちこちの本屋に電話をかけまくってやっと手に入れ、伯母に贈ったのだという。
            わたしはDVDを操作したこともなく、もちろん録画もできないので、夫に頼んだ。

            番組を観て、わたしもトヨさんの詩が読みたくなり、詩集&朗読DVDセットをアマゾンに注文した。
            (DVDとセットは在庫あり)

            トヨさんの詩が心に響くのは、誰でも理解できる、シンプルな言葉に
            トヨさんの生き方や人柄が凝縮しているからではないかと思った。
            トヨさんは、心の核にある、ほんとうのことだけを書いておられる。
            ひとつひとつの詩は短いけれど、背後にあるのは、
            辛いことも悲しいこともたくさんあった、99年の歴史なのだ。
            だから、言葉に重みが、説得力がある。

            今年の6月、トヨさんは100歳の誕生日を迎える。
            その前にもう一冊詩集を出すのが夢なのだという。
            その夢に向かって、トヨさんは今日も頑張っておられる。
            99歳でまだ夢をもっている・・なんて素敵なんだろう。


            産経ニュースに、トヨさんの記事が載っています。
            こちらです。ご覧ください。


            そういえば、去年は、おばあちゃんの思い出を歌にした植村花菜さんの 「トイレの神様」もヒットした。
            時代は、温かさのようなもの、そして、いつになっても変わることのないものを求めているのかも。
            それは、目に見えないもの。誰でも手に入れることのできるもの。




            くじけないで

                     
            柴田 トヨ


            ねえ 不幸だなんて
            溜息をつかないで

            陽射しやそよ風は
            えこひいきしない

            夢は
            平等に見られるのよ

            私 辛いことが
            あったけれど
            生きていてよかった

            あなたもくじけずに
                        
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              『やがて哀しき外国語』より

              村上春樹さんの『やがて哀しき外国語』(講談社)に書かれていた
              「外国人に外国語で自分の気持ちを正確に伝えるコツ」が興味深かったので
              以下に引用します。


               (1) 自分が何を言いたいのかということをまず自分がはっきりと把握すること。そしてそのポイントを、なるべく早い時期にまず短い言葉で明確にすること。
               (2) 自分がきちんと理解しているシンプルな言葉で語ること。難しい言葉、カッコいい言葉、思わせぶりな言葉は不必要である。
               (3) 大事な部分はできるだけパラフレーズする〈言い換える〉こと。ゆっくりと喋ること。できれば簡単な比喩を入れる。
               以上の三点に留意すれば、それほど言葉が流暢じゃなくても、あなたの気持ちは相手に比較的きちんと伝えられるのではないかと思う。しかしこれはそのまま〈文章の書き方〉にもなっているな。


              ネットに文章を書く上でも役に立ちそうです。

                          
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                悪意でなく
                森達也さんの『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(ちくま文庫)を読んだ。
                これで、森さんの本は4冊読んだことになる。

                森さんに惹かれるのは同世代だからだろうか?と思っていたら、
                他にも意外な共通点があることを知った。

                もしかしたら、大学時代、どこかですれ違っていたかも。

                あの頃、わたしは全然別の方向を向いていたから、接点はありようがなかったけれど。

                『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』で、わたしはとても大事なことを教えられた気がしている。
                いつか森さんの作られた映画『A』と『A2』を観てみたい。

                長くなるが、「文庫本あとがき」から引用する。


                ***

                ……正義や善意や大義を燃料にするとき、そして愛する人を守ろうと思ったとき、人は内実が変わらないままにとても残虐になれる。多くの人を摩擦なく殺せるようになる。
                 だから本当に警戒すべきは、外なる悪ではなくて内なる善なのだ。

                ***

                ……世界は皆が思うよりも豊かだ。だからこそ時として人を追い詰める。人は皆が思うよりも優しい。だからこそ時として、人を傷つけ、大量に殺す。
                 これを完全に防ぐことはできない。悪意なら封じ込めればよい。あるいは排除し、時には迎撃すればよい。テロ対策特別警戒中のポスターを大量に印刷して、監視カメラを社会の隅々にまで行き渡らせ、セキュリティを可能なかぎり高度化すればよい。
                 でも根源は悪意ではない。世界が持つ豊かさと人が持つ優しさなのだ。排除も迎撃もできない。なぜならこれはあなた自身でもあるのだから。

                 だから大切なこと。視点を変えよう。少し小首を傾げるだけで、この世界はいろんな様相を呈示してくれる。少し角度を変えるだけで、人はとても多面的なその内実を現してくれる。
                 それはまるで鉱物の結晶。視点を少し変えれば、キラキラ光り輝きながら、様々な色彩や明度を示す。それが世界、そして人。
                 せっかくこの世界に生を受けたのだから、その多様さと豊かさを、僕は実感しながら生きてゆきたい。人の優しさをしみじみと噛み締めながら時を過ごしたい。

                ***


                * 森さんの公式HPはこちらです。
                * こちらも参考にしてください・・→「ドキュメンタリー映画『A2』 森達也監督に聞く」
                            
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                  『ルーアンの丘』
                  遠藤周作著『ルーアンの丘』(PHP研究所)を読みました。
                  これは、氏がフランスに留学した時のエッセイと日記をまもめたものです。
                  遠藤文学の原点を読ませてもらったようでとても興味深かったし、
                  氏の真摯で純粋な心に打たれました。

                  少し引用します。


                  ***


                  日本を去って四カ月、その一日一日が、眼新しく、未知なものに充たされたいたこの三カ月の間に無秩序に心の中に投げこんだものも、今、整理しはじめなければなりませんでした。しかし、どこから始めるべきでしょうか。その出発点はあきらかにぼくが通りすぎたあれら南の未知の港と港、黄昏のマニラ湾、泣きわめく赤ん坊を叩いていた中国の母親、コロンボでぼくに金を乞うたインドの少女の瞳からでした。

                  ***


                  〈はっきり、わかったこと、それは、そうした、この地上の不幸を、今日カトリック者が見捨てておくことは、怠惰であり、むしろ怠惰以上に悪であるということだ〉

                  ***


                  〈今日のカトリック者は、これらの人たちをさらに無意味にくるしめたりさらに悲惨の中に陥れるものに対して抵抗せねばならぬ。例えば、いかなる名目の下であれ、戦争を再び刺戟するもの、敵意を助長するものに対しては、その間違いを訴えねばならぬ。朝鮮の戦争は、相互のいかなる名目の下でなされたにせよ、よし、それが政治的には正しくても、人間の良心からは決して肯定することは出来ない〉

                  ***


                  〈カトリック者は、この地上のさまざまの矛盾や不幸が、ぼくらの魂への試練であると知っている。しかし、それだからといって、この地上の不幸や矛盾に眼をつぶっていてよいのではない。カトリック信者は、この世界の向うに別の世界があることを知っている。しかし、それだからといって、この地上のことを軽んじてよいという理由にはならない〉

                  ***


                  ぼくが教会を愛するのはそこに来る庶民の顔なのだ。その庶民の祈る顔には司祭や神学者の自信ありげな、独善的な強さがない。彼は悲しげに祈る。彼は人間の悲しさを知っている。そのようなカトリシスムをぼくは如何に愛するか……

                  ***


                  マルセイエーズ号で留学するとき、カルメル会の修道士になるために
                  フランスに行こうとしていた井上洋治氏と出会います。
                  その時のいくつかのエピソードも感慨深いものでした。
                              
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                    『世界を信じるためのメソッド』
                    図書館に行ったらふと森達也さんの本が目にとまりました。
                    『世界を信じるためのメソッド〜ぼくらの時代のメディア・リテラシー』です。

                    これは理論社が出している「よりみちパン!セ」シリーズの一冊で、
                    中学生が読んでも十分わかる内容になっています。

                    目次を見れば、大体どんなことが書かれているか推測できるでしょうか。

                    第一章「メディアは人だ。だから間違える」
                    第二章「メディア・リテラシー、誰のために必要なの?」
                    第三章「キミが知らない、メディアの仕組み」
                    第四章「真実はひとつじゃない」

                    心に残った箇所をいくつか引用します。


                    ***


                     かつてヒトラーから後継者の指名を受けていたナチスの最高幹部ヘルマン・ゲーリングは、「なぜドイツはあれほどに無謀な戦争を始めたか」との裁判官の問いに以下のように答えている。
                    「もちろん、一般の国民は戦争を望みません。ソ連でもイギリスでもアメリカでも、そしてドイツでもそれは同じです。でも指導者にとって、戦争を起こすことはそれほど難しくありません。国民にむかって、我々は今、攻撃されかけているのだと危機を煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやりかたは、どんな国でも有効です」

                    ***


                     物事は、どこから見るかで全然違う。なぜなら世の中の現象はすべて、多面的だからだ。

                    ***


                     僕の周りには世界がある。あなたの周りにもある。三六〇度すべてにある。でもカメラはまず、この無限な世界を、四角いフレームの枠の中に限定する。その瞬間、区切られたフレームの外の世界は、存在しないことになってしまう。

                     何かを撮るという行為は、何かを隠すと行為と同じことなのだ。

                    ***


                     どこかに悪がいる。そして自分たちはその悪を許してはならない。そんな雰囲気を作るのはメディアだ。でも自分たちが媒介となって作りだしたその雰囲気に、実はメディア自身も呑み込まれる。

                    ***


                     だからあなたには知ってほしい。メディアはそんな本質的な矛盾を抱えている。中立公正な報道など、ありえない。必ず人の意識が反映されている。

                    ***


                     視点を変えれば、また違う世界が現れる。視点は人それぞれで違う。だから本当は、もっといろんな角度からの視点をメディアは呈示するべきなのだ。いや、呈示されるはずなのだ。
                     でも不思議なことに、ある事件や現象に対して、メディアの論調は横並びにとても似てしまう。なぜならその視点が、最も視聴者や読者に支持されるからだ。

                     だからあなたに覚えてほしい。事実は限りない多面体であること。メディアが提供する断面は、あくまでもそのひとつでしかないということ。もしも自分が現場に行ったなら、全然違う世界が立ち現れる可能性はとても高いということ。

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                     僕たちはメディアから情報を受け取る。そして世界観を作る。でもそのメディアの情報に、大きな影響力を与えているのも僕たちだ。メディアが何でもかんでも四捨五入してしまうのも、その四捨五入がときには歪むのも、実際の物事を誇張するのも、ときには隠してしまうのも、(すべてとは言わないけれど)僕たち一人ひとりの無意識な欲望や、すっきりしたいという衝動や、誰かわかりやすい答えを教えてくれという願望に、メディアが忠実に応えようとした結果なのだ。

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                    上記の箇所のほかにも考えさせられるとことはたくさんありましたが、
                    びっくりしたのは、森さんが以前勤めていたテレビ局の人たちの「中立」に対する考え方です。

                    森さんは自分がテレビ局をクビになったのは、
                    「オウム真理教の信者を絶対悪として描け」という上層部の指示に従えなかったからだそうです。
                    そのとき番組制作部長は「オウムを『極悪な殺人集団』として描くことが「中立」だと考えていたのだそうです。
                    森さんは言います。
                    中立とは両端から等距離にある位置のこと、けれど、「両端」は初めから決まっているわけじゃなく
                    「民意や世相という言葉に象徴される時代の雰囲気」が決めているのだと。

                    メディアの怖さ、メディア・リテラシー、つまり「メディアを批判的に読み解くこと」の大切さがよくわかる本です。
                    興味のある方は是非ご一読を。
                                
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                      reading comments(0) atsuko
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